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猫も杓子も点滴2本

アルコール依存症で一回目に入院した時の話である。

入院したら、即点滴になる。入院したその瞬間からまず点滴なのだ。点滴については、何の薬か良くわからないが、栄養剤的なものなのだろうし、文句もない。

しかし、以下の2つの点で、さすがアル中専門病棟と唸らさせられたことがある。

1)血液検査の結果は関係なく、一日2本。

γ値(γ-GTP)が高いとか低いとか関係ない。γが20の人も4000超えの人も、差別なく、点滴を一日2本。確かにアルコール依存症の定義付けは、γ値だけで測られるものではない。γが低いアルコール依存症も当然たくさんいるだろうし、γが高くなければアルコール依存症ではないという理屈は通らない。しかし、点滴はあくまで身体的な不具合に対し処方するものだから、γが低い人まで何故点滴を一日2本しなければならなかったのか、私には今でも判らない。私の入院時のγ値は40程度だったように思う。正常値である。体は幸いにも元気だったのだが、毎日点滴2本のメニューは私にも課せられた。今思えば、無茶苦茶な病院だなぁとは思うけど、メリットもあったように思える。それは、一日点滴2本していれば、なんとなく自分がとっても悪い病気にかかっているんじゃないかと思うようになること。

アルコール依存症は否認の病気とはよくいわれる。特に家族から病院に送られたような自覚の全然ないアホの患者にとってはありとあらゆる手段で、自己に対する認識の変革を起こす必要がある。家族から病院に放り込まれ、血の検査を受けても異常がない場合、患者は「何で俺がこんなクソのようなところに放り込まれるんだ。俺は健康じゃないか!」となおさら暴れてしまう傾向にある。それでもとりあえず、ブロイラーにコンベアで餌を運ぶがごとく、毎日毎日点滴を2本も受け続けていれば、「もしかしたら俺って病気かも?」なんて思ってくれるかもしれない。どうせ栄養剤なんだから身体的に健康な人に点滴したところで副作用なんてないに等しいから、患者に多少なりとも認識の変化が起これば病院としては、「点滴の術」成功なわけである。もちろん、病院側も点滴代も儲かるしね!!!

2)土日祝は点滴1本

血液検査に異常が認められず、それでも一日点滴2本して、γに以上がない患者でも「俺は体は健康だけど、点滴やってもらっているから、もしかしてやっぱり病人なのかな」と淡い病識が生まれてきている。非常に喜ばしいことだ。だが、彼の病識はそのうちはかなくも崩れていくことになる。

週末、彼はいつものように点滴を待つ。それまでの毎日キチンキチンとした点滴に彼の思いは、「やっぱり病院はしっかりしとる。加療計画に基づいて治療しているところをみると、なんとなく俺も病気なのか。自分の判断じゃ、体は全く元気なんだが、プロから見たらどこかしらおかしいところがあるんだな、きっと」などと少しは自分が病気であると認めはじめているのかもしれなかった。

看護師が来た。

看護師:○○さん、今日は点滴は1本だからね。
○○さん:えっ、そうなの?どうして?もう俺の体調良くなったの?
看護師:いや、今日は土曜日だからねぇ。人がいないのよ。
○○さん:は?

このような会話が交わされた。○○さんは深く傷ついてしまうのだ。彼は、自分の治療はきちんとした医者の看護方針のもとで行われていると信じている。だってここは病院なのだから。まさか、土日で人がいないなどという普通のありふれた理由で点滴しなくてよいことになるとは彼の常識では考えられないことなのだ。彼の常識では、例えば処方された薬を医者が、「あ、薬は忙しい時は飲まなくていいよ」なんて言うようなことは考えられないのだ。医者は、「○○さん、きちんと薬飲まないと、治るものも治りませんよ」という人種だと信じているのだかれら。○○さんは、「結局、俺の点滴は、その程度かい!!」と思うに到ってしまう。

そうなのだ。結局のところ、○○さんの点滴はその程度のことなのだ。土日で看護師の数が足らない時は、お休みしても良い程度のことなのである。つまり、「してもしなくても良い程度のこと」だったのである。もうこう感じてしまったら、彼は病院の治療について不信感全開である。「結局、この点滴なんて病院のゼニ儲けのためにやるんだよな。患者のためなんて微塵のかけらもないんだよな、なめやがって、くそどーせ俺らをアル中のクソぐらいにしか思ってねぇんだろうよ」。

実際、彼らは患者のことを「アル中のくそったれ」ぐらいにしか思っていないので当たってはいる。残念なのは、患者はこんな時だけ自分たちのことを「アル中のくそったれ」を自己を卑下して揶揄するが、それは反語であって心の中では病気のことを全く認めようとはしていない。笑える。

点滴がいい加減な形だけのものであるとしった○○さんは、点滴に対する姿勢も変わってきた。2時間も点滴に拘束されるのに嫌気がさした彼は、点滴をなるべく高いところに持って行き、超高速点滴の術を生み出したのだ。テレビの病院シーンでよく見る点滴の「ポタっポタっ」のイメージとはかけ離れて「ジャーッ」と流れていく。これを点滴ともはや呼べない。もちろんストッパーは全開。○○さんは、針が突っ込んである方の半身が少し冷えてくるのは感じていたが、これみよがしに、「看護師さん、これくらいの勢いで点滴やらないと、効くものも効かないっすよ」。○○さんは、看護師がそんな無茶を制止してくれるのではという甘い期待がないことはない。子供が親の前でわざと悪いことをして注意を引こうとする心理に似ている。しかし、看護師は、「あら~○○さん、入院している時くらいは、物事はユックリやってもいいんですよ」と言ったには言ったが、そのまま帰っていった。よくよく周りの患者を見てみると、皆、ストッパーは全開で、点滴「ジャー」である。先輩患者らは、点滴のことなどもうどうでもいいような、とにかく終わらせればいい、小学生の宿題程度にしか思っていないようだった。

そう、点滴なんてやっぱり形だけなのである。私の初回入院時、その病院ではγ値が正常の患者に対し点滴は2週間継続した。土日祝は、1本。形だけの点滴だが、本当に点滴を必要としている患者もいる。γ値がまっとなアル中らしいスコアを叩き出しているヤカラどもだ。彼らは、γが正常値に下がるまで無期限で点滴を打たなければならない。彼らには点滴治療は、形だけでは、困る。しかし、そんな彼らへの点滴も、土日祝は1本。

精神病院とは、そんなもんなのだ。真面目に考えると、理不尽だらけの世界、それが精神病院。でもね、真面目に考えちゃダメ。だってあなたは、キチガイだからここに入れられたんだから。「ここは訳が判らんところだなーガッハッハ」と笑い飛ばすのが、精神病院の生活で健康な精神状態を保って生活するコツなのかもしれない。

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Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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