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ベンゾジアゼピン依存-やめられない恐怖

ベンゾジアゼピンの薬を止めたいと思っても、そうそう簡単ではない。これは経験した人間じゃないと理解できないと思う。その苦しみは味わった人間じゃないと判らない。経験したことのない人に言葉で説明しようと思ってもまず伝わらない。一生懸命状況を説明しようとしても、突拍子もない症状の離脱禁断がでるために、聞いている側もまともにとりあって聞こうという気にもならないから。

常用量の処方でも長期服用した場合でも依存してしまうそうだ。これはごくごく最近問題として週刊誌などでも取り上げられている。常用量の処方で依存してしまうかどうかは私には判らない。個人的な意見としては、常用量だったらそこそこ長期服用しても問題はなさそうとは思う。実際、私個人は薬の効きが悪いほうで、1ミリのデパスを飲んでも何の変化も感じない。銀のハルシオンを1つ飲んだところで眠気がさすとうことは全くなく、飴の代わりにポリポリ噛みながら麻雀しても、逆に調子がよくなるくらいだ。体感できるとすれば、サイレースの2ミリを2個以上一度に服用すると多少はボーっとして呂律が回らなくなる。実感として「あ、薬が効いてきた」と感じることの出来る量。

私はベンゾジアゼピンの薬は水やお菓子代わりに乱用していたので、当然そんな生活を6年も続ければ体も心もべっとり依存してしまったのだが、常用量を守っていたら止められなくなっていたかというと、おそらくそれほど深刻な問題ではなかったと思う。あくまでこれは薬の効きにくい体質の私の考えで、実際は常用量でも十分止められなくなった人たちはたくさん世の中にはいるようだ。

ベンゾジアゼピン系の薬のリスクを知りながらなぜ医者は処方続けるかというのは別のエントリーでいつか書きたいと思うのでここでは避けて、ここでは、なぜベンゾジアゼピンに一旦はまってしまうと止めるのが難しいのかを書いてみる。

まず1つ目。ベンゾジアゼピンにはまって止めたいと思っていると相談できる医者が少ない。本人のせいでもある。大体が複数の医者をはしごして処方してもらっている。それぞれの医者には当然他で処方してもらっているなんて言ってはいない。現在かかっているどこの医者に、「先生、今まで嘘ついてました。他でも処方してもらっていて薬止めたくても止められない状態で困っています」なんて、恥ずかしてくて言えるものではない。もし言ったとしても、その医者がこの系統の薬の依存にどれくらいの理解があるかこちらは判らない。複数の医者に通っていたと伝え医者が怒ってしまって、診察拒否されたら、もっと困ることになる。では、現在かかっていない全く別の医者に相談するのはどうか?これも、きちんと理解してくれる医者にあたるまでに相当時間がかかりそうな気がする。だいたいどの医者も、現在進行形の眠剤乱用者なんて相手にしたくないと思う。

医者もベンゾジアゼピンに依存性があるのか多少は判っているとは思うが、それを止めるとどうなるとかあまり知らないのが現実だと思う。おそらく徐々にやめれば大丈夫程度のことしかほとんどの医者は言えないのではないだろうか。だから結局は、自分に頼る以外方法はなくなってしまう。

そして2つ目。自分で減薬、断薬しようと思っても、成功できる確率はほぼゼロ。その理由は、どんな離脱禁断症状がでるか予測できない。また、その離脱禁断にどんな対応したら良いのか皆目見当つかないから。また自分の経験から言えるのだが、この系統の離脱禁断はハンパない。素人的には、1週間か長くて2週間辛い期間を乗り越えればなんとかなるだろうと思って断薬に挑む。2週間頑張ればラクになるんだからと自分に言い聞かせて断薬に挑む。甘い。まず、2週間耐えられないし、たった2週間では(私の場合は)終わらなかった。アル中の離脱禁断の苦しみが1とすれば、ベンゾジアゼピンの苦しみは100以上だった。予測できない状況に、ただひたすら我慢するだけが武器の人間がどうやって戦えばよいというのか。勝てるはずがない。

ほとんどの人間は、失敗した時のためにと、少しは万一に備えて、ベンゾをストックしている。結局、断薬後3日後、もしくは1週間後、苦しみに耐えかねてストックから1錠のソラナックス飲んだら、はい、もとのもくあみ。また1からやり直し。

3つ目。アルコールでさえ、完全断酒に至るには専門の病院で3ヶ月から半年の入院が必要とされるのが常識。それ以上の離脱禁断を伴うベンゾジアゼピンを断つのには当然同等以上の専門施設で治療することが当たり前だと思うのだが、どこがそんな治療やってくれるのか情報がない。薬物依存を扱っている病院の薬物って、一般的に言われる麻薬などのこと。「ベンゾジアゼピンの依存ならうちに任せなさい」なんていう病院聞いたこともない。またアルコールなら入院が必要となる段階では、周りからみても、相当イカれて見える。仕事もクビになって無職だったり、クビになる寸前の状態だろうし。しかし、ベンゾジアゼピンに依存し、本人はもうどうしようもない状態だと思っていても、薬が切れない限りは、普通に仕事ができてしまう。だから、周りはそこまで深刻だとも思ってくれない。例えば自分で断薬して、本当にのたうち回っている姿を見せるまでは、どんな恐ろしい薬にはまっているのかは周りは判らない。もしかしたら、普通に服用している限りは普通に生活できるのだから、大丈夫じゃないかという家族もいるかもしれない。

本人は、恐怖で縛られた生活から逃れることはできない。ベンゾジアゼピンは酒のようにコンビニには売っていない。入手するには医者の処方箋が必要。毎週毎週必ずやってくる土曜日曜。病院は休み。まだまだ先のことなのに、盆、正月、ゴールデンウィークの長期休みの心配を抱えて生活しないといけない。この薬を切らしてしまったら最後、地獄の離脱が始まる。いつも頭の中はその不安を抱いている。不安が不安を呼び、徐々に、量が増えていく。今まで2軒でよかった病院を、念のためにと3軒。3軒が4軒、5軒へとどんどん増える。服用量もどんどん増える。ストックも一月分では心配でたまらなくなる。実際のところ一月分のストックなんて消費しようと思えば一日ですっ飛ぶ量なんだから。

さらにもし薬切らしてしまい禁断症状がでて耐えられなくなってしまったら救急車を呼べばいい?それが週末の夜だったらどうなる?夜中の精神科救急を受け入れてくれる病院なんて大都会の東京でもそうそうない。その理由が眠剤の断薬したらこんなになっちゃいましたなんて、救急隊も信じてくれない。私は日曜日の真夜中2時に救急車を呼んだことがある。その時に、いくら眠剤止めようと思って捨てましたといっても彼らは信じてくれなかった。逆に、飲み過ぎたから具合悪くなったんでしょうと言われたくらい。さらに彼らは、しっかり喋れるじゃない。大丈夫なんじゃないと相手にしようともしなかった。しっかり喋れても、死にそうなくらい辛いのは普通の人には理解してもらうのは大変。救急の場合、死にそうなくらい大変なのは、外見も死にそうなくらい大変じゃないとダメ。今この瞬間死ぬとは思わないけど、真綿でクビ締められるように、精神を追い詰められるこの辛さを伝えるのは至難の技。

世の中に、ベンゾを止めたいと思っているけど、もうにっちもさっちも行かなくなった人はどれくらいいるのだろう。軽い気持ちで服用を始め、副作用は大したことないと薬の説明書きを軽く見てどんどん薬増やし、もう戻れなくなったところまできて、そこで初めて、出口の見えない闇にいると気がついた。止めたいと思った時は遥か手遅れで、愕然と膝をつき途方に暮れる。

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ランドセン

わたしも無理でした、
仕事が忙しくて病院に行けなくなり、いきなり断つ形に
会社の後ろは線路、線路。。。離脱について何も知識や備えがないまま線路なんてものを見たら何をするか、ひとつしかないでしょう
たった3日の断薬で、仕事をやめて貯金と積金を手元に集め、買ったばかりの車と原付二台を査定に出し、身の回りのものを売り、できるだけ現金を集め、遺書に財産の割振書きましたよ、死に物狂いとはこのこと
たった3日の断薬で、しかもほとんど記憶がないなんて、これは立派なビョーキじゃないですか
車の運転どころか、歩くどころか、もううまく息ができない
離脱について偶然知ることができ、なんとか家族に説明して、わたしを監視するように頼みました
わたしは家族の中で子犬の次に若いのでよく縛ってもらえますが、責任という自分でつくる縛りがないので投げやりになりやすいと言えますね
なんて薬だ、治療目的なのか薬中量産目的なのかわからない
断薬どころか減薬もできなくてもとの量+ストックまでつくる始末
自殺が唯一の救いのような気がします。

BZD依存

 はじめまして、たけしと申します。
私もBZD依存に苦しんでおり、インターネットで偶然引っかかった本HPに私の体験と現状を記したく勝手ながらコメントさせて頂きます。

■私がBZD依存になった経緯
 6年前に勤めていた会社で人員削減を伴う人事異動を行った結果、私は社長と部長の間に挟まれてしまい、毎日ストレスを抱えながら生活を送っていました。簡単に述べると、社長と部長の仲が悪くお互いに会話をしないので部長が社長に伝えなければいけないことを私を介して伝えるというような状態です。また逆もしかりでした。社内伝言ゲームの最悪版ともいえるでしょう。
 そういったなかでも私は通常道理の精神状態で業務をこなしていました。そういうつもりだったのだと今になって思えば思います。
 それから、数か月後、突然でした、両手がブルブル震えだして文字も書けない状態になりました。
 近くの大学病院の精神科で診察を受けると適応障害と診断されました。確かにウツ症状はなく、パニック障害もしくは適応障害が適切な診断結果だと私も思います。
 しかしながらここからが問題でした。私の症状はかなり軽いもので投薬による治療は必要なかったと今では思います。その時に処方されたのがジェイゾロフトでした。わたくしはジェイゾロフトを服薬して2日目に自殺衝動に駆られパニック状態となり自分では対処できない状態に陥りました。そこで震える手で必死に救急車を呼び都内の精神科専門病院に搬送されました。私は病院なら私の自殺を止めてくれる人がいると思い安堵感を得ました、また安堵感を得たことでパニック発作も沈静化しました。しかし、この時の恐怖体験は私の心に大きな傷を残しました。
私の部屋で発作に陥ったのですが、部屋に入るとその時の記憶がフラッシュバックしてまた発作が起こるようになったのです。PTSDになりました。PTSDのことを医者に話した時に出された薬がレキソタン5mgでした。
 これが私とレキソタンの最悪の出会いでした。レキソタンにたどり着くまでの経緯も偶然や不運もあったと思います。人員削減で削減される側になればこんなことにはなってなかったのですから。

 とにかくBZD依存は恐ろしいです。まさに薬中心で物事を考えて生活しているというのが現状です。あの時、病院なんかに行かないで会社を辞めて実家に帰ればよかったと思っています。

■現在の服薬量と服薬期間、離脱に向ける決意
 現在はブロマゼパム量で1日5mgを4回に分けて服薬しています。これは服薬回数を2回とかにすると必ず一日の中でプチ離脱症状が出てしまうから医者に頼んで4回に分けてもらっています。服薬量の増減・加減もありましたが大体5mgを約5年間、服薬をおこなっています。私は服薬を一回抜いただけでも離脱症状がでる体質のようでレキソタンで減薬→断薬は難しいと当方は考えております。
 したがって次の診察日にレキソタンからメイラックスへの置換を医師に提案しようと決意しています。なんとしてもBZD依存から抜け出したいです。もう5年間も生きた心地はしていません。


真にかってながら同じ苦しみを抱えているとの理由だけで管理者様のHPを利用して決意表明をさせて頂きました。

最後に、管理者様や本HPを利用している皆様そして私もがこの依存症を克服できることを切に願っています。

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Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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