酒のない人生なんて何が楽しいの?

アルコール依存症の治療前、もしくは治療初期の方々は、断酒している先輩がたを見て、何が楽しくて断酒しているのか理解できないと思う。酒を止めて人生の楽しみは全くないはずなのに、よく生きていられると不思議に思うかもしれない。もしかしたら、死ぬ勇気はないから、惰性だけでフラフラと生きているだけなのかなぁと想像している人も多いと思う。

私は一人の個人だから全ての断酒している人たちの本心は判らないが、私自身の経験を振り返って、上記の疑問ついて書いてみようと思う。

何が楽しく断酒しているのか?はっきり言って、何もたのしくありません!何も楽しくありませんよ、だって私から酒をとったら何もないんだから。生きている目的は、死ぬまでに酒以外の楽しみを見つけるために生きているということです。私が何故断酒しているか知っていますか?それは、当然ながら、私はアルコール依存症だからです。アルコール依存症は寛解すれど、完治せず。不治の病です。生きている限り治療は続きます。治療とは、すなわち断酒。死ぬまでアル中は治らないのだから、死ぬまでアルコール飲みたいと思うのは、ごくごく自然なのです。1年断酒すれば、3年断酒すれば、酒以外の楽しみを見つけて楽しく生きられるなんて妄想に過ぎないと私は思う。断酒の会合などでは、酒以外の楽しみを見つけて充実した人生を送っていますなんて言う人もいるけれど、あれは、そういう会合の席用のスピーチ用原稿を読んでいるだけじゃないのか。皆、心の底をのぞいてみたら、酒飲みてぇなぁと思っているはず。ただ、それを言っちゃまずいから、大人なんだよね。

これで、終わったらこの項ちょっとまずい。

私は断酒してからも、断酒初心者のように、「断酒している他の人達は何が楽しいのだろう」と思っていた。自分も断酒しているくせに、自分ではその答えが相変わらず「酒以外の楽しみを見つけること」であり、その答えはまだ見つかっていなかった。断酒してから1年、2年、3年と過ぎ、飲まないことはそれほど苦痛ではなくなったし飲まない自分が普通に思えるようにもなってはいたが、やはり、心は満たされてはいなかったと思う。おそらくその状態のまま、10年断酒したとしても、あまり変わらなかったのではないだろうかと、今思える。

断酒して5年が過ぎたある日、基本バカな私は、「酒を1滴でも飲んだら、アル中が再発すると言うけれど、本当にそうだろうか?通常飲酒できないものだろうか?」という考えがふと頭によぎり、ちょっと飲んでみた。これは決して、飲酒欲求から飲んだわけではない。確かに酒はずっと飲みたいと思って断酒していたけれど、5年も止めれば、そうそう飲酒欲求が表立ってわくわけではない。純粋に、アル中再発するかどうか、もしくは通常飲酒できるかどうか、あと、5年酒を止めて酒の味は変わったか」を研究したいという好奇心からの飲酒である。

飲んだ。

不思議なことに、あれほど好きだった芋焼酎を飲めなくなっていた。ビールもそれほど美味くない。あれれ、これはマズイことになったと困ってしまい、ウィスキーをそのまま飲んだ。良かった、美味かった。味覚はだいぶ変わったようだが、酒は受け付ける。

そして。ひと月も経たないうちに、私は再入院してした(飲んだのが直接の原因じゃないけど、割愛)。なんてどアホウなんだろうと笑うしかないが、5年断酒してもやっぱりアル中に違いなかった。

半年後、退院した。入院中にいろいろお酒について考えた。アルコール依存症の根本的治療は、酒を止める以外にないものだろうか?自分はアル中なんだから、医者より、現場に即したもっとスマートな方法はないものかとか、考えなくてもよいことを考えてしまった。単にヒマだったからかもしれない。私が考えたことは、医者は短絡的にアル中は酒を飲むなというけれど、それは本当の根本的治療になっていないのではないか?だって酒を止めても酒飲みたいという気持ちは消えないし。アル中の究極の治療は、通常飲酒できるようになることではないかと思うに至った。もちろん、2度目の入院期間中に通常飲酒を試すことはできない。もし、そのようなことが発覚したら、精神病院からいつ出れるか目処もつかなくなってしまう。ここは大人しくしないとと、素直に退院を待った。

退院した日に早速飲んでみた。今回は、通常飲酒を目指して飲んだ。飲み始めて、2週間ぐあいはいい具合にいけた。俺ってやればできる?と、ちょっと嬉しくなった時期でもある。しかし、当然ながら、そんな時は長くは続かない。なんつっても無職だし、朝からちょっとだけと飲み始めるようになった。この後は、想像どおりである。通常飲酒はできないと判った。私は人からいろいろ言われても、自分で実践してみないと理解できない性格である。バカと呼ばれてもいい。それで判ればそれで良い。ただ、こういうことを試すのはリスクは大きすぎリのでおすすめはできない。

負ったリスクは大きかったが、得たものも大きかった。通常飲酒はできないと、判ったら、なんと自分でもビックリだけど、また断酒を始めたのである。酒のんで良いことはないとわかっちゃいたけど、飲んでみたらやっぱり良いことはなかった。だから断酒しようと思って断酒。

このあとの断酒の気分は、最初の5年間の断酒となんか違う。これを言葉で表すのはとても難しい。今は「酒を断っての幸せは何か?」とか「何故断酒するのか?」とかなんかそーゆーのもうどうでも良いんだよね。考えるのに飽きたというか興味がなくなったというか。酒に囚われなくなったと言ってもいいのかもしれない。断酒していても「飲みたい」と思っている頃は、まだまだ酒に囚われている時期なのかもしれない。私は、最初の5年間は断酒こそしていたが、酒に囚われていた。断酒している自分をことさら偉そうに思っていたのかもしれない。今は、断酒してるからどうのこうのとか、どーでもいいって感じで、飲まない自分が普通だとか自然だとか、そんなのもどーでも良くて、そんなの考えても価値がないというか興味も無くなってしまった。良い意味のあきらめなのかな。

正直、酒を止めてから、これほど酒に囚われなくなったことが不思議でしょうがない。このブログを書こうと思ったきっかけも、こういう気分を忘れないように記していたいと思ったことが1つの理由。ま、そういう心持ちになったことを書くこと自体がまだ酒に囚われているんじゃという批判もあるかもしれないが、そんな批判に言い争う気も全くなく、そうかもね~と流すゆとりがあるみたい。だってどーでもいいんだから。

私が判っていること。酒飲んでも良いことは全くない。私は通常飲酒はできない。それだけである。酒なしの人生が楽しいか?という質問に、今は「その質問には、興味がないから、どう答えていいか判らない」が本音。例えば、普通の人間に、「水洗トイレで流れていくウンコの気持ちになって考えてみろ!」なんて言われても、「はぁ~」となるようなもの。酒がどうだとかこうだとか言われても、あんまりピンとこなくなっちゃった。

断酒している人が100人いたら、100通りの断酒があると思う。100通り、どれでも正解だけど、どうせなら気持ちをラクに断酒したほうがいい。毎日毎日「今日一日飲まない。感謝!!」とかキバルのもいいんだけど、酒のことをすっかり忘れて過ごしたほうがラクだと思うのは私だけだろうか?

私が何故こんな気持で日々過ごせているのか、それは私にも判らない。そう思えるようは一定の期間が私には必要だった、そしてその時間が過ぎたからなのか、それとも、自分で通常飲酒をできるように努力して、やっぱりダメで、もうあきらめて疲れ果ててしまったのか。

断酒していても、酒の囚われた断酒は疲れる。どうせ断酒するなら、心を酒から開放していたい。今日も1日断酒しようと思い断酒するよりも、断酒していることを忘れてしまって、気がついたら飲んでいないなぁ、と思える断酒が心地良い。もしかしたら、視点が変わったのかな。酒のない世の中なんて、酒のない人生なんて、何の楽しみもないと思っていたのも事実だし、今でもその当時の気持ちを思いだそうとすると、もちろん思い出すことができる。そのように思っていた自分も、今と変わらぬ私に違いないのだから。私がそう思っていたのだから。そういうふうに思っていた自分は、コインの表だけをみてコインの裏側の存在を知らなかったのかもしれない。子供が海外の話を現実的に自分のことと捉えられなくて夢物語のように聞いているのと同じように、酒以外のことに目を向けるゆとりがなければ、見ることもできない。多分、そういうことだろう。

酒を止めて楽しい人生なんてどこにある!と思っているアル中の皆さん、いつかは、酒のない人生が楽しく思える時がくるかもしれません。なんて偉そうなこと書いていますが、当然、そんな私も、これだけは譲れないことがあります。死ぬまえには、飲みたい!!

だって私はアル中だから、当然でしょ!!

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Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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