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全てはアルコールのために

人は時に何故生きているのか、人生とは何か、仕事とは何か、などと哲学的思考をすることがある。我々アル中はあんまりそんな高級な思考をすることはないけれど、一般の人が問われると答えに窮するような、人生哲学的質問には、即座に答えることができるだろう。

■あなたは何のために生きているのか?

 酒飲むために決まっているでしょ!

■あなたは何のために仕事しているの?

 酒買うために決まっているでしょ!

■あなたにとって人生の最高の幸せとは何か?

 酒以外にありません。

■あたなの社会における存在意義は?

 お酒さまに飲まれるためです!

私の人生は酒中心に回っている。自己中心、酒中心。アル中は、朝おきたその瞬間から、もう飲むことを考える。一日、仕事しながらでも、楽しみな時間を心待ちにして過ごす。生きている時間を、2つに分ける。辛い時間と楽しい時間。辛い時間は、酒飲む時間以外の時間。楽しい時間は、酒飲む時間。楽しい時間を得るために、辛い時間も我慢してこらえる。だいたいのアル中の気持ちはこんな感じじゃなかろうか?

アル中にとって、酒は酔うための道具以外の何のもでもない。アル中にとって、お酒の席での会話なんてどうでも良い。酔えればよいのだ。アル中には、一般人の感覚は通用しない。日頃は酒を飲まないが、友人、知人、同僚とストレスなく語らうために多少のアルコールを嗜む人も多い。アル中は、酒と会話するので、友人、知人、同僚など酒の席に必要ないのだ。

仕事を終えて、同僚と居酒屋に。「まずは、ビールでいいかい?」一人が周りに問いかける。アル中は、思う。馬鹿じゃなかかろうか。馬のションベンみたいなもの飲んで、何が酔えるんだ。飲むのだったら、最初から芋焼酎をのまんかい!明日があるから、今日はこの辺でと、切り上げるサラリーマンがいる。馬鹿じゃない?一旦飲んだら、もう明日はないのだから、死ぬまで飲めばいいのに。今日はこの辺でとか、理解できない。

電車に乗る。空いている。くたびれたサラリーマン風のおじさんが、おつまみと発泡酒を飲んでいる。たまにこんな光景に出くわすことがある。アル中は思う。馬鹿じゃないのこのおじさん。なに発泡酒なんて飲んでんだよ。電車で飲むなら、ターキーをビンごと口に流しこむだろ?だいたい、ツマミなんて余計なもの胃にいれたら、酔が浅くなるから。捨てっしまえ。

「私は酒の魔力に囚われ自力ではどうにもならなかったことを認めます」ある地方の断酒会で唱和する冒頭の文言である。いつから、酒に囚われたのか。若いころ、あんなに苦くてうまくなかったビール。口が焼けるほど、辛いと思ったウィスキー。美味そうな顔をして飲んでいる親父のことが信じられなかった焼酎。いつから、それが変わったのか。昔は、一人では飲まなかった。酒は仲間と語らうための脇役だったのに。

今、壁に向かって一人飲む。今日は焼酎。手元にはお湯を継ぎ足す電気ポットと一升瓶。コップはない。味噌汁をのむ木製の茶碗。壁に向かい、何を思うか、ひたすら飲む。黙って飲む。飲んで飲んで、ひっくり返るまで飲む。明日は来なくても構わない。どうせ、来るんだからか。いつものことだ。ひっくり返って、気がついたらだいたいは朝になっているからね。

アル中にとって、生活の中心は酒。喜びは仕事の成功ではない。仕事の昇進ではない。家族との時間でもない。子供の成長でもない。アル中にとっての喜びは酒をのみ酔うこと以外に何もない。アル中にとって自分を理解してくれる仲間は酔った時に現れる別人格の自分。誰も自分を理解してくれない。昼間の自分は、別の自分かもしれない。本当の自分は、酒の中に在る。だから、そこに辿り着くために、居心地のよい別の世界に辿り着くために、一刻も早く、酔わなければならない。僕は、そこでしか生きられないのだから。僕はその世界が好きだから。だから、飲む。

アル中から酒をとったら、何も残らない。アル中にとって断酒宣言は、死刑と同じ。この世から、楽しみという楽しみは姿を消してしまう。どうやったら、前向きに生きられよう。無理だから。ソーシャルワーカーは、家族の笑顔、子供の成長があるじゃないですか。と、クソのようなことをいいやがる。こいつなんにもわかっちゃいない。

アルコールに人生を賭けてまで真剣になれることはどういうことだろう。アル中は不思議に思う。どうして他の周りの人は、俺みたいにアルコール好きじゃないの?あいつら、感覚が俺と違うんじゃなかろうか?週に2日休肝日つくるのがどうして平気でできるの?休肝日なんて、なんの楽しみもない、ただ苦痛の24時間に過ぎないのにね。

アル中は、健常者には理解できない、酒に対する特殊な感覚を持っているように思う。このような感覚は、アル中と呼ばれる人々が生まれ持った感覚ではない。何かしらの条件が合致して、後天的にアル中がアル中たるべくして育てた感覚に違いない。一人で壁に向かって飲んでいるうちは良い。誰にも害にならないから。一人で壁に向かって一生いられたらいいのに。そしたら、周りからはただの大酒のみと呼ばれる程度だろう。

常識と理性の一線をいつか越える日がくる。酒飲んで寝た。夜中起きる。時計を見ると夜中1時。まだこんな時間か、ションベンして寝直すか。彼は、正常だ。時計を見る。夜中1時。まだこんな時間か、もうけたような気分だな、もう一杯飲むか。彼は、ちょっとやばい。一旦寝たのに、再度起きた時、また飲むか飲まないのか、その判断基準となる時間が、年月と共に、遅くなる。朝4時で、もう一杯という輩は、近いうちに閉鎖病棟がまっているだろう。壁に向かって飲むだけでは済まなくなるステージに差し掛かってくる。

壁に向かって飲むだけの幸せな日々に帰りたい。つーか、壁に向かって一人で飲んでるあなたは、既にノンストップの閉鎖病棟行きに特急列車に乗っているんだけど。アルコールは巧妙に、ひっそりと、しかし確実に私を捉えて離すことはなかった。

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Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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