尾錠のバネ棒

尾錠もだんだんネタが尽きてきた。今回は、尾錠用のバネ棒についてのエントリー。オークション等で尾錠を入手しても、バネ棒だけは純正を期待しないほうが良い。パテックの尾錠がオークションで出ていても、バネ棒まで純正品の出品はほぼないのではないだろうか?

メーカーの純正尾錠の出品をいくつか見ても、バネ棒に至るまで純正と明記してあるオークションはまず無いし、出品者もバネ棒まで純正とうたうべきかどうかなんて思いつきもしないだろう。通常、出品する側は、バネ棒のことなんて気にしない。

ところが入札する側の人間は、バネ棒も結構気にしているから厄介だ。落札されて尾錠を送り、落札者からバネ棒が純正じゃないと言われても、困るだろう。出品者の立場としては、尾錠の出品にバネ棒についてまで、純正を求められるのは正直困ると思うし、そこまでこだわるのだったら落札する前に聞いてよと思うだろう。だが、落札者はバネ棒まで含めてそのメーカーの尾錠なんでしょというスタンス。トラブルの原因は、それぞれが当たり前と思っていることの基準が違うことにあるようだ。

さてパテックの金時計のバネ棒は、金である。金はステンレスより思い。重さを測ってみる。小数点第一位までしか測れないスケールだと誤差が大きすぎるので辛いけど、なんとかなりそうだ。

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ステンレスのバネ棒(オメガの純正尾錠にくっついていたやつ)

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ステンレスのバネ棒(パテック純正のステンレス尾錠にくっついていたやつ)

ステンレスの尾錠は0.2グラム程度で、表示は0.0~0.4グラムまでばらつきはある。写真では0.2グラムの状態で写してあるが、測るものがこれくらい小さいと、毎回同じ表示になるとは限らない。バネ棒をトレイのどこに置くかで微妙に表示が変わってくる。とはいえ、一番0.2グラムと表示されることが多いので、だいたいそんなものなのだろう。

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ホワイトゴールド製と思われるバネ棒(パテックのヴィンテージ尾錠にくっついていた)

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ホワイトゴールド製のバネ棒(これはパテックの時計にもともとついていたやつ)

金尾錠は0.4グラム程度。この場合も、いつも表示が0.4グラムとは限らない。0.3~0.5グラムのあいだで振れるが、0.4グラムの表示が一番多い。

0.2グラム程度のステンレスバネ棒と、0.4グラムの金尾錠の違いは、手に持ってもサッパリ判らないが、数字上は2倍の違いがある。

さて次は色味をチエックしてみよう。

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真ん中の2本がホワイトゴールド製。少し黄色がかってみえる。

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この角度だと色味の違いが判りやすい。

このように並べてみるとなんとなく色味が違い、判別も容易いが、バネ棒なんてそうそうストックしているわけじゃないから、1本だけの単体で識別しようとなると相当難しいと思う。ステンレスもサビや汚れで黄色がかって見える場合もあるわけだし。

さて、最後に、磁石をくっつけてみた。バネ棒はステンレスもホワイトゴールドもくっついた。これは、バネ棒の「バネ」の部分の素材に強く反応しているのだと思う。実際、ステンレスだからといって磁石に必ずしもくっつく訳ではない。ステンレス製の尾錠の本体部分は、ほぼ無反応である。つく棒だと軽いので反応が判りやすい。ステンレスのつく棒は、磁石にくっつくが、先端を磁石にくっつけたまま持ち上げると、自重を支えることはできなかった。磁石は、おもちゃの磁石なので、磁石がそれほど強力ではないというのもあったけど。

ということで、尾錠のバネ棒の比較終わり。誰かの参考になることを願う。

アルコール病棟での労働

アルコール病棟での患者は、当然、アルコール依存症である。ここは病院なので、当然、飲めない。飲んだら、バレでもしたら即、独房へ行ってらっしゃいの運命。

アルコール依存症の患者は、飲んでいない状態の時は、普通の人である。飲んだら、人間のクズになる人種だが、飲んでいない時は、全くの普通の人なのである。普通の人だから、いろいろな作業(労働)も、当然、人並みにできる。

私の入院していた病院では;

1)朝のほうきがけ
2)モップがけ
3)窓ふき
4)ゴミ捨て
5)風呂掃除
6)配膳準備
7)食堂の掃除
8)他の病棟へ、食事を運ぶ手伝い
9)シーツ交換
10)シーツ類のトラックへの搬入と搬出
11)集団学習会の会場の準備、片付け等
12)その他たくさん

といろいろな役務があった。このような作業(労働)が、当時、どのような名目で行われていたのかは判らない。体の良い作業療法に入るのであろうか?看護師不足が常の精神病院の労働力を補う、格好の人材であるかのように思われる。とかけば、私はこのような作業に批判的のように思われるが実際にはそうではない。入院時は、確かに、このような労働を対価ナシで、強制的に行うことには、抵抗もあった。しかし振り返れば、実際の作業、それも何らかの失敗をすれば、怒られる可能性のある実働を行うのは、リハビリテーションに大変役立つことだと思う。

作業療法は、失敗しても怒られることはない。作業療法とは、単なる遊びに過ぎないからだ。ソフトボール、輪投げ、お絵かき、簡単な調理、カラオケなど、暇つぶしの域をでない。

しかし、アルコール依存症の患者に割り当てられた労働は、失敗したりさぼったりすれば他の誰かに迷惑がかかる性質のものであり、実社会の労働と性質は同じである。入院中は、何のストレスもなくゆっくり過ごすというのも治療の段階によっては大切だが、退院後のことを考えると、入院時に多少の負荷のある生活をさせることで、退院後にうけるであるうストレスに免疫をしっかりつけておくことは大切だと思う。これが、私が後になって、このような労働に賛成する理由である。

病院側も、このような作業を行わせる理由を聞かれていれば、上記のように答えたのだろうが、本音で言えば単なる労働力の補充であるのは誰の目にも明らかだったと思う。結果オーライで、それはそれでよいのだが。

さて、そのような作業の中で、そりゃないだろうと思うものが一つあるので紹介したい。

当時、入院患者は、上から下まで60日程度の表が書かれた、一枚の紙をベッドの壁に貼っていた。その紙に、一日の便の回数、尿の回数、体温、脈を自分で記入するのである。体温計は、今どきどこでこんなのが売っているのというようなあの懐かしい水銀体温計がベッドに備え付けてある。朝起きて、一番に体温を測ることになっているのだ。

大半の患者は、その表が、変なのである。60日分を記入できる表なのだが、記入されてある最新の欄は、だいたいが、30日ぐらい日付が進んでいるのである。つまり、皆、ひとつき先まで、既に記入済みになっているのである。体温も適当に、36度~36.5度の範囲でバラバラに、またしょんべんも8回~15回、便も1回~2回、脈も60回/分~80回/分と適当に微妙に違う数値で、ひとつき先まで記入してある。

普通の医療機関ではあり得ないことだが、このような測定を、患者に任せてしまっていたのである。基本、患者は面倒臭いことは嫌いだ。だから、まともに回数をチェックしてきちんとカウントしているやつは誰ひとりとしていない。皆、ちょーテキトーに数値を羅列しているだけなのだ。

患者の中には、真面目に脈を測ろうにも、測り方を知らない者もいたから、彼らがテキトーに数値を羅列するのは仕方のないことだっただろう。中には、脈の数値が3とか、500とかすごい数値を記入してしまい、看護師連中を卒倒させる者もいた。便の数が100とか…。

ひとつき先まで記入することが、何故まかり通っていたかというと、それは表をチェックする者が、看護師ではなかったからだ!!!これは、今でも思うが、さすがにマズイよ。誰がやっていたかっていうと、同じ患者だったんだから。班長がやっていた。私、班長もやったから、ワ・タ・シもやった。

私にも良心があって、75歳くらいの患者さんには、表の先付けはやらせていなかった。毎日ノートをもって患者のベッドから数値を転記して、そのノートを詰所に提出するのだけれど、75歳の患者さんには、脈はキチンと腕を持ち測ってあげていた。便の回数も正しい回数を問いただしていた。だって高齢の患者さんは、何があるか判らないから、日々の測定は大切だと思っていたし、何かあったら、自分に責任があるから怖かった。今思えば、何かあったとしても、患者にこんなことさせていたというのは病院は隠蔽するだろうし、私に責任が及ぶことはないとは思う。そもそも、こんな大切なことを同じ患者にさせていた病院側が悪いのだから。私は看護師免許もっていないのだから。

普通の常識なんて精神病院には、ない。形式だけ、そう形式だけやっておけば、あとは患者は死なない程度でちょうど良い。最初に書いたが、私は労働自体には反対ではない。しかし、度が過ぎると、「だから精神病院は叩かれるんだよあぁ」とボヤきたくもなってしまう。

この話は、当時の事実ではあるが、今では改善されて、日々の計測は看護師が直接1人ひとりに対面で行なっているということを付け加えておく。労働も残念ながら、無くなった。

TPOに応じて

当然、私もTPOに応じて時計をかえたいと思っている。しかし、なんといっても保有している時計が一本しかない。パテック3796のみなのだ。正確にいうと、カシオのプロトレックをもっているが、これは万が一の非常時用なので時計としてカウントしない。

私はいわゆるパテック一本君なのである。ということで、TPOに応じて付け替えることもできずに悶々として同じ時計ばかりしているのである。複数時計を持っていた頃は、TPOに応じて時計を変えてはいたが、実際にそれに気がついているのは、本人だけということも少なくない。もちろん、日頃は小さいアンティークばかりしている人が巨大なパネライしたり、金無垢ベルトのDDなんてしたら周りも気づくのであるが、複数所有している時計は、だいたいが嗜好が似ているものが多いので、本人が思っているよりは、周りは気づいていないものである。

どうせ周りは気づいてくれないのだし、時計を変えて変わるのは、本人の気分が一番としたら、尾錠を変えるというのはどうだろうか?時計は一緒で、尾錠をTPOに応じて変える。周りは絶対に気づかない。しかし、本人の気分は、時計を変えるのと同等の効果がある。なかなかの良いアイデアと思うのは一本君で尾錠マニアの私だけか?

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時計は、パテックのカラトラバ、ref.3796で;

1)茶摘みなどの農作業の日

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茶摘みの日は純正をつける勇気はない。コルムのステンレススティール。鍵のマークがワンポイント。農作業には最適の尾錠だろう。傷がついてもタワシでゴシゴシ洗えるのが良い。

2)家族でピクニックの日

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ステンレスの純正尾錠が正しい選択だろう。ピクニックではちょっとした山登りも待ち構えているかもしれないし、遊園地の遊具もある。金だと、傷を付けるのを恐れて、こういうワイルドなアクションに思い切って挑めないが、ステンレス純正だと問題ない。

3)キャバクラ行くとき

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金色のパテック純正クラシックタイプ。キャバクラに行くときは、色のついたゴールドに限る。ピンクゴールドのカラトラババックルがよいのだが、売っぱらっちまったので、今保有している中の尾錠から選ぶとすればこれ。時計に興味のあるキャバ嬢の目に留まるだろう。

4)冠婚葬祭

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フォーマルな装いには当然ホワイトゴールドの純正尾錠。クラシックタイプの控えめなたたずまいが、一層シックな雰囲気を引き立てる。これで焼酎を飲んで暴れて、精神病院に運ばれるとなおさらグッド!

5)転売するとき

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純正のアメリカンバックル。好みは別れるところだが、転売して他の人に渡る時計に、クラシックタイプは贅沢すぎるので、アメリカンバックルを付けるとしよう。

6)デートするとき

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気持ちを最高潮まで持っていかなければならない勝負の時は、ヴィンテージ尾錠の出番。多すぎる刻印が、呪文のようで、いやがおうでも気分が高揚すること請け合い。


賢い読者は、尾錠を変えるよりもストラップを変える方が良いという意見もあると思う。この意見には、私は反対だ。カミーユなどのアビエシステムのストラップだと問題ないのだが、ストラップの交換は、中途半端な慣れをもって挑むとラグ裏を傷つけてしまう。ここ一番というデート前の大切な時に、ストラップ交換をしくじってパテックのラグ裏を傷つけたら、勃つものも、萎え萎えになってしまってデートも台無しだ。

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しかし、そろそろ尾錠についてのエントリーもつらくなってきた。

悲しい細腕

私の腕は細い。悲しくなるぐらい細い。その細腕にもかかわらずロレックスのスポーツタイプの時計を着用していた時期もあった。エクスプローラーⅡ、ヨットマスターロレジウム。どちらも6時側を最短に詰めても、まだ長い。仕方なく、オイスターブレスをカットした。

日ロレで確か工賃3000円。ブレスカットは日ロレが一番安いと思う。オーバーホールはクソ高い(といっても総合的に考えたら安いけど)、ブレスカットは安い。一般の業者だと数万円かかるはず。ブレスカットは、ある意味でコマ詰めの延長であり、サービスの一環として安い価格設定になっているのだろう。


オイスターブレスをカットするのはもったいないとか思う人もいるが、私はあまり気にしない。転売時に困るとかは、転売時に困ればよいので、自分が余裕している間は気持よく着用したい。カットしたら、オイスターブレスに段がつくが、その段に気づく人間は、自分以外にいない。

そういうわけで、規定の革ベルトも自分が納得するサイズなど、ない。これはとても残念だ。しかし、世の中にはチンコが細すぎて市販のコンドームが合わないという人もいるだろう。そんな人の悲しさを考えると、まだ私は救われる。ベルトはオーダーできるから。コンドームはそんな簡単にオーダーメイドなんてできないだろう。

たくさんの時計を買っては転売を繰り返し、最後に残った時計がパテックのref.3796、細腕にはちょうどいい大きさのドレスウォッチ。本来なら特別な機会のための一本なのだろうが、私はこれしかないので、日常使いしている。子供と遊園地に行くときも、これ。

3796のアイボリーダイヤル。ロレックスのダイヤルについても、飽きが来ないほど語ることは多いが、3796のアイボリーダイヤルも見ていて飽くことはない。埋め込まれたゴールドのミニッツマーカーやスモセコは多少オヤジ臭さを感じさせるけれど、ドーフィンハンドの鋭さで上手に中和される。針がリーフだったら、完全に、爺さんの時計になるけれど、ドーフィン、特にパテックのドーフィンは寒気さえ感じる鋭さがある。

盤面をよくみると、カメラの画像ではとてもとらえられないほどの魅力がある。樹脂製のダイヤルは、表面が陶器の釉薬みたいに透明の膜がかかっているように見える。よーっくみると、Patek Philippeの文字が釉薬みたいな膜の下(盤の底面?)に影を作っている。こんなことなど、ルーペで見ないと誰も気づかない。アイボリーという色味も、ライトによっては若干赤みを帯びて見えることもあり、その魅力は到底カメラで表現できるものではない。

今日も、ネジを巻く時間がやってきた。手巻きは面倒臭いという考えもあるけれど、巻き上げる数分間の時間は、私にとっては大切な時間。手間暇かけてネジを巻くというより、ネジを巻く時は、何も考えることもなく、「何も考えないことに集中する」という不思議な表現がピッタリと合う。時計にとっても、ゼンマイを巻き上げてもらうことは大切かもしれないが、私にとっても心を空っぽにできる、実は非常にありがたい時間でもあるのだ。

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尾錠の研磨と痩せ

ヤフオクのロレックスカテゴリを見ると、ラグの痩せを気にしている人が多い。出品者も、「未研磨の痩せなし」をアピールポイントにしている場合もある。一時期、ロレックスを同時に10本ぐらい所有していたことがあり、詳細に比較したこともあるのだが、正直あんまりよく判らなかった。バネ棒の穴が貫通しているタイプのラグでバネ棒の先がラグから飛び出るぐらい痩せている個体はどうかと思うが、もともとロレックスのラグは太いから未研磨だの痩せているだの言われても気にならなかったのかもしれない。

さてパテックの尾錠については、どうだろうか?研磨での痩せなど、比較するほどの個数が揃っている場合でないと気にしたくとも気にしようがない。1個だけでは比べられないし、その個体が痩せているかもなどと、疑うことさえ思いつかない。パテックの尾錠の痩せについてのウェブコンテンツは、あんまり見つかりそうにないので、この機会に書いてみることにした。

まずは同じクラシックタイプの尾錠を4個並べてみる。

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上からや、下からだけみても、形状の違いはほとんど判らない。では下記の写真の角度からではどうだろうか?左からステンレス、中の2つがホワイトゴールドで、右がイエローゴールド。

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イエローゴールドの尾錠の痩せ具合いがはっきり判ると思う。一番左のステンレスの尾錠をふさふさ頭の髪だとすると、一番右のイエローゴールドはツルッパゲ並の痩せ方である。このイエローゴールドは痩せすぎなので早々にオークションで売り飛ばすことにしよう。もちろん、サイドビューの写真を見せることはしない。

上記でイエローゴールドの個体は痩せが目立つとしたが、もしかしたら、元からそうなのかもしれない。つまり素材によってもともと太さが違う可能性もある。そこで、今度は、ホワイトゴールド同士の尾錠を比べてみる。

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ヘッド裏の刻印はサークルで囲ってあるPPCと750だけ。このタイプの尾錠にはホールマークは刻印されていない。この2枚の写真だけだと、どちらがよりオリジナルの状態に近いかは判別できない。そこでサイドビューをみてみよう。

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右の尾錠の高さが低いのがお分かり頂けるだろうか?ヘッド部分の縦の厚みがあまりないのがお分かり頂けると思う。研磨して削られたのかもしれない。

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この角度からだともっとよく判る。ヘッドの角を比べてみると右の尾錠がどうも頼りないぐらい萎えている。左が大根だとすると右は人参かもやし状態だ。

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上の写真は、つく棒がフィットするくぼみ部分。このくぼみ部分も、右の写真では大きく広がっている。この辺りも研磨で削られた可能性は高いように思う。

また、ヘッドの山型になった部分が右の尾錠はなだらかになっているのがお分かり頂けると思う。これも単体ではなかなか気づかないポイントだが、このように2個置いて比べてみると、左はあきらかに角度が急な三角になっているのに対し、右はなめらかになっている。研磨で削られたっぽい。

以上、複数の尾錠を比較して検討してきたが、それでも細い方の個体が研磨による痩せで細くなったのか、それとも元々細かったのは断定できない。それは、尾錠の刻印が個体によってその場所や書体が違っているように、製造された工場の違いや、製造時の職人のオヤジの気分で個体差がでる可能性も否めないからだ。尾錠職人のオヤジが前の晩に奥さんに拒まれたとしたら、翌日イラついてゴリゴリ削ってしまい、いつもより痩せた尾錠が出来上がったなんてことも十分あり得る。(あり得ないよっ!!)

さて、尾錠のおけるマニア泣かせの最後の部位が、バネ棒である。この項の〆にパテック純正のバネ棒の写真を下記に掲載しよう。

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このバネ棒の値段は7350円である。バネ棒一本にななせんさんびゃくごじゅうえんなのである。素材はホワイトゴールドらしい。こだわる人はこだわるのだろうけど、私だったらインド製の一本10円くらいのバネ棒でちょうどいいと思うのだけど。

patek philippe尾錠の真贋

ヤフオクにパテックのホワイトゴールドの尾錠(クラシックタイプ)が出品されており、ずっとウォッチしていたら数回クルクルと再出品で繰り返され、ついに落札されていた。6万円弱。結構高価な値段である。パテックの尾錠は、入手するとなるとほとんどがオークションサイトだろうけど、その真贋はどうやったら判るのだろう。ロレックスの尾錠は贋物にあふれており、ウェブでも写真がたくさん見つかるので、比較もできる。しかし、パテックの尾錠はマニアのサイトでもそうそう取り上げてくれていないので、ウェブでの写真と比較することは難しい。

手持ちの本物の尾錠と比較できれば良いのだが、そうそうたくさん尾錠をストックしている人はいない。だいたい持っていないから、オークションで入手するわけだし。結局、本物と信じて買った尾錠なんだから、本物と信じこむしかないのが、信じるに値する十分とはいえないまでも、その理屈付けはしたいものだ。

1)色味で判断する。

ホワイトゴールドは多少黄色がかっているとどこのサイトでも書いてある。ではパテックのホワイトゴールドをみて色味だけで判断できるだろうか?ジュエリー業界で長いことキャリアがある人なら別だけど、まず普通の人には無理。ステンレスと比べてみると、そこで初めて黄色がかって見えるのであって、比較なしにその単体だけみて判断はできないと思う。ステンレスだってサビ加減によっては黄色に見えるのだから。

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上の画像は右がステンレス、左がホワイトゴールド。こういうふうに比べてみるとなるほどと思えるけど、単体だけで判断できれば、その人は相当の色マニア。また、ホワイトゴールドには往々にしてロジウムメッキ加工がされており、綺麗にロジウムメッキされたものは、ステンレスやプラチナと色味は変わらない。また、色味を確認するための照明の色でも、全然変わってくるし。

2)比重を調べる。

比重計などを、持っている人はまずいない。そんなもの持っていたら変態だ。

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だいたい、貴金属テスター高い。上の写真のモデルも16万ぐらいする。今後の研究にために一台は必要とキバって購入しても、購入後、計測に最小必要グラムが2グラムと判明し、0.3グラム程度のつく棒を測れないことに気づき、せっかく買った貴金属テスターを壁に投げつけて「使いモンにならん」と怒るのは目に見えている。使いモンにならんのはそんなもん買ったあなたのアタマだ。

3)削ってみる。

実は、やってみた。イエローゴールドのクラシックタイプの尾錠をオークションで買ったことがあるのだが、どうも本当に金かどうか疑いが晴れず、もしメッキなら削ればジガネが見えるはずだと、針で表面をゴリゴリ削ってみたことがある。幸いにも、いくらゴリゴリやってもゴールドの輝きは消えることがなく、私はほっと胸をなでおろした。しかし、大切な尾錠が傷だらけになって胸が張り裂けた。自分で綺麗に研磨して傷が取れる訳でもなく、結局は買った値段の半値で転売してしまった。泣いた。

4)磁石で調べる。

金は磁石につかない。これは単純で一番てっとり早い方法の一つである。とりあえず、磁石をくっつけてみる。くっつかなければ、とりあえず、安心という訳だ。ステンレスもそんなに強力というわけではないが、磁石で反応はする。ちょっとでも反応があれば、まずは金じゃないとわかる。ただ、金じゃないとわかるだけで、磁石に反応しない他の金属の可能性はあるわけだ。子供のおもちゃに使われているキラキラしたプラスチックかもしれない。

これらの紹介した全ての方法をつぎはぎすれば、なんとか金と無理矢理信じることはできる。太陽光から裸電球、LEDまで色々な光を当ててみる。どうしても納得出来ない場合は、黄色い光を照射して、強引に黄色味があると納得する。比重は、手のひらに載せて見て、「俺の手のひらが比重計なんだよっ!」と口走り、なんとなく重いから「金」とする。削るとやばいので、サンエーパールあたりでかる~く撫でる程度はしてよいだろう。最後に磁石にくっつかなければ、総合判定で、金!!

それでも、心配なら金のじがね屋さんにもちこめば金かどうかは判定してくれるかもしれない。でも、金と判明してもそのじがね屋さんに売るわけではないので、すこし、申し訳ない気もするだろうけれど。

下の写真は、右がホワイトゴールドで左がステンレス。

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猫も杓子も点滴2本

アルコール依存症で一回目に入院した時の話である。

入院したら、即点滴になる。入院したその瞬間からまず点滴なのだ。点滴については、何の薬か良くわからないが、栄養剤的なものなのだろうし、文句もない。

しかし、以下の2つの点で、さすがアル中専門病棟と唸らさせられたことがある。

1)血液検査の結果は関係なく、一日2本。

γ値(γ-GTP)が高いとか低いとか関係ない。γが20の人も4000超えの人も、差別なく、点滴を一日2本。確かにアルコール依存症の定義付けは、γ値だけで測られるものではない。γが低いアルコール依存症も当然たくさんいるだろうし、γが高くなければアルコール依存症ではないという理屈は通らない。しかし、点滴はあくまで身体的な不具合に対し処方するものだから、γが低い人まで何故点滴を一日2本しなければならなかったのか、私には今でも判らない。私の入院時のγ値は40程度だったように思う。正常値である。体は幸いにも元気だったのだが、毎日点滴2本のメニューは私にも課せられた。今思えば、無茶苦茶な病院だなぁとは思うけど、メリットもあったように思える。それは、一日点滴2本していれば、なんとなく自分がとっても悪い病気にかかっているんじゃないかと思うようになること。

アルコール依存症は否認の病気とはよくいわれる。特に家族から病院に送られたような自覚の全然ないアホの患者にとってはありとあらゆる手段で、自己に対する認識の変革を起こす必要がある。家族から病院に放り込まれ、血の検査を受けても異常がない場合、患者は「何で俺がこんなクソのようなところに放り込まれるんだ。俺は健康じゃないか!」となおさら暴れてしまう傾向にある。それでもとりあえず、ブロイラーにコンベアで餌を運ぶがごとく、毎日毎日点滴を2本も受け続けていれば、「もしかしたら俺って病気かも?」なんて思ってくれるかもしれない。どうせ栄養剤なんだから身体的に健康な人に点滴したところで副作用なんてないに等しいから、患者に多少なりとも認識の変化が起これば病院としては、「点滴の術」成功なわけである。もちろん、病院側も点滴代も儲かるしね!!!

2)土日祝は点滴1本

血液検査に異常が認められず、それでも一日点滴2本して、γに以上がない患者でも「俺は体は健康だけど、点滴やってもらっているから、もしかしてやっぱり病人なのかな」と淡い病識が生まれてきている。非常に喜ばしいことだ。だが、彼の病識はそのうちはかなくも崩れていくことになる。

週末、彼はいつものように点滴を待つ。それまでの毎日キチンキチンとした点滴に彼の思いは、「やっぱり病院はしっかりしとる。加療計画に基づいて治療しているところをみると、なんとなく俺も病気なのか。自分の判断じゃ、体は全く元気なんだが、プロから見たらどこかしらおかしいところがあるんだな、きっと」などと少しは自分が病気であると認めはじめているのかもしれなかった。

看護師が来た。

看護師:○○さん、今日は点滴は1本だからね。
○○さん:えっ、そうなの?どうして?もう俺の体調良くなったの?
看護師:いや、今日は土曜日だからねぇ。人がいないのよ。
○○さん:は?

このような会話が交わされた。○○さんは深く傷ついてしまうのだ。彼は、自分の治療はきちんとした医者の看護方針のもとで行われていると信じている。だってここは病院なのだから。まさか、土日で人がいないなどという普通のありふれた理由で点滴しなくてよいことになるとは彼の常識では考えられないことなのだ。彼の常識では、例えば処方された薬を医者が、「あ、薬は忙しい時は飲まなくていいよ」なんて言うようなことは考えられないのだ。医者は、「○○さん、きちんと薬飲まないと、治るものも治りませんよ」という人種だと信じているのだかれら。○○さんは、「結局、俺の点滴は、その程度かい!!」と思うに到ってしまう。

そうなのだ。結局のところ、○○さんの点滴はその程度のことなのだ。土日で看護師の数が足らない時は、お休みしても良い程度のことなのである。つまり、「してもしなくても良い程度のこと」だったのである。もうこう感じてしまったら、彼は病院の治療について不信感全開である。「結局、この点滴なんて病院のゼニ儲けのためにやるんだよな。患者のためなんて微塵のかけらもないんだよな、なめやがって、くそどーせ俺らをアル中のクソぐらいにしか思ってねぇんだろうよ」。

実際、彼らは患者のことを「アル中のくそったれ」ぐらいにしか思っていないので当たってはいる。残念なのは、患者はこんな時だけ自分たちのことを「アル中のくそったれ」を自己を卑下して揶揄するが、それは反語であって心の中では病気のことを全く認めようとはしていない。笑える。

点滴がいい加減な形だけのものであるとしった○○さんは、点滴に対する姿勢も変わってきた。2時間も点滴に拘束されるのに嫌気がさした彼は、点滴をなるべく高いところに持って行き、超高速点滴の術を生み出したのだ。テレビの病院シーンでよく見る点滴の「ポタっポタっ」のイメージとはかけ離れて「ジャーッ」と流れていく。これを点滴ともはや呼べない。もちろんストッパーは全開。○○さんは、針が突っ込んである方の半身が少し冷えてくるのは感じていたが、これみよがしに、「看護師さん、これくらいの勢いで点滴やらないと、効くものも効かないっすよ」。○○さんは、看護師がそんな無茶を制止してくれるのではという甘い期待がないことはない。子供が親の前でわざと悪いことをして注意を引こうとする心理に似ている。しかし、看護師は、「あら~○○さん、入院している時くらいは、物事はユックリやってもいいんですよ」と言ったには言ったが、そのまま帰っていった。よくよく周りの患者を見てみると、皆、ストッパーは全開で、点滴「ジャー」である。先輩患者らは、点滴のことなどもうどうでもいいような、とにかく終わらせればいい、小学生の宿題程度にしか思っていないようだった。

そう、点滴なんてやっぱり形だけなのである。私の初回入院時、その病院ではγ値が正常の患者に対し点滴は2週間継続した。土日祝は、1本。形だけの点滴だが、本当に点滴を必要としている患者もいる。γ値がまっとなアル中らしいスコアを叩き出しているヤカラどもだ。彼らは、γが正常値に下がるまで無期限で点滴を打たなければならない。彼らには点滴治療は、形だけでは、困る。しかし、そんな彼らへの点滴も、土日祝は1本。

精神病院とは、そんなもんなのだ。真面目に考えると、理不尽だらけの世界、それが精神病院。でもね、真面目に考えちゃダメ。だってあなたは、キチガイだからここに入れられたんだから。「ここは訳が判らんところだなーガッハッハ」と笑い飛ばすのが、精神病院の生活で健康な精神状態を保って生活するコツなのかもしれない。

patek philippe stainless steel buckle 14mm

世の中には変態的にマイナーな趣味を持っている御仁もいることだろう。趣味が変態的になればなるほど、その趣味の情報を得るのは困難になる。ウェブ広しといえど、そうそう見つかるものではない。

下記に掲載の写真は、パテック・フィリップのクラシックタイプ・ステンレス尾錠(14mm)のディテール。尾錠は時計のおまけみたいな部品だが、だからこそ古い時計になればなるほどオリジナルで付属することは珍しい。

この尾錠という部品に興味をお持ちの人種は、朝からピンサロ行く人種ぐらいレアだと思うけど、世の中は広いのでここで紹介することは無駄にはならないはずだ、多分。

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ノンブランドの尾錠でこの形を探そうと思うとありそうでない。カラトラババックルはけっこうでてくるのに。クラシックタイプの尾錠の形は、まさに古典的芸術美を感じてしまう。

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尾錠裏側から。

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刻印のディテール。同じような刻印でも、書体が微妙に違う個体も散見される。

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サイドビュー。同じクラシックタイプでも、K750のものとは、サイドビューが微かに違うみたい。でも研磨されて厚みが薄くなっている場合もあり、比較は難しい。いつか別のエントリーでこの違いを取り上げて見たいと思う。

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トップ部分の角のアップ。

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つく棒のディテール。尾錠はただでさえ脇役なのに、さらにその中の脇役であるつく棒。つく棒マニアがこの写真をご覧になったら涙流して喜ぶのではなかろうか?

尾錠一つでここまで楽しめるのは、パテックならではだと思う。ちなみにこのタイプの尾錠は中古市場では年に1回でるかでないかぐらいで、そのレアさのため、下手すると18Kより高い値段がついている模様。

patek philippe ref.3796

私は時計が好きでコレクションしたことがある。集めたコレクションはほとんど売り払ってしまい、現在では1本しか残っていない。パテック・フィリップref.3796。

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そのへんの女性よりも細い私のきゃしゃな腕にしっとりと馴染む。最近のデカアツブームはそれで良いとして、たまには小さくて控えめな時計を付けるのも悪くはない。ほとんどの人は、この時計に気づかない。ジジィくさいとか、その小ささのためオカマ用時計くらいとしか思わないだろう。しかし少しでも時計に関心のある人には、この時計は控えめどころか、放たれる威光・存在感で、30mmの直径が数倍にも大きく見える。

毎日、夜9時ごろにネジを巻く。小さいリューズを小気味良くキリリと巻き上げる。時計はしょせん時間を測る道具に過ぎないが、こいつは、どうやら時間を測る道具ではなさそうだ。ネジを巻き上げ命を吹き込むと静かな鼓動が聞こえだす。チクタク音が独立した新たな時の流れを創りだす。そこではこの時計が時の絶対的創造主として存在し、もしも遅れるとか進むとかあったとしたら、イカれているのは電波時計のほうなのだと怒り出しそうだ。

手巻き時計はネジを巻いてあげないと動かない。たまにはメンテナンスも必要だ。パテックだとオーバーホールの費用で別の時計が買えるくらいのコストもかかる。この時計を眺めていると、どっちが主人なのかわからなくなる。もちろん、私が時計をお世話して、時計に使われる下僕のよう。いつの日にか、こいつを使い倒せる日が来るのを楽しみに待とう。

アルコール依存症についての本

アマゾンでアルコール依存症と検索するとたくさんの本が出てくる。ちなみにgoogleでアルコール依存症と検索すると結構上位に私の入院した病院が表示される。

世の中アルコール依存症に情報は溢れているというわけである。アルコール依存症に関する情報は、もし得ようと思うならそれほどむづかしいことではない。残念なことに、アルコール依存症の人々は自分から情報を得ようとすることはまず無いのだけれど。

このブログを始めてから、初めてコメントを頂いた。とても嬉しかった。このブログは、一応体系的に、ある目標を持って書こうと思ってはいた。伝えたいことがあり、そのことを支えるエピソードを複数回書く。そして次の伝えたいことに移る。そう思っていたけれど、1週間も時間を空けてしまうと、ストーリーがどこまで進んだか忘れてしまう。自分で書いたブログを見たら判るのではと思うかもしれないけれど、ブログは実際の末端の作業現場であって、それを見て設計図を思い出すのはなかなか難しい。

これからなるべく1週間に1回はきちんとブログ書こうとは思う。たとえ、何をどこまで書いたかわからなくなっても、今日書くものが、既に前回書いたものであったかもしれなくても、それはそれで良いだろう。

さてその頂いたコメントに、「なだいなだ」氏の下りがある。なだいなだ氏の著書は私の手元に一冊ある。「アルコーリズム―社会的人間の病気」。この本は、内容は少々古臭いが、アルコール依存症については、ほぼこれ一冊で全てが理解できる名著だと思う。古臭いとはいえ、30年前のアル中も、現代のアル中もそうたいして変わってはいないのだから。

確かに、数ヶ所については、ちょっと違うかもと思う部分はあるかもしれない。しかし、アルコール依存症のことを全体的にわかりやすく伝えてある本だと思う。今手元にあるこの本をパラパラとめくりながら、以前熟読した記憶を呼び起こす。内容を思い出してみる。この本は、改めてとても良く書かれていると思う。この本を一冊読めば、それだけでもう他のアルコール依存症に関する本は読む必要は無いように思う。アルコール依存症とは何かという問題に淡々と答えてくれる本だと思う。

一つこの本に加えたいと思うこともある。いや、この本を読んだら、その後、深く考えてもらいたい問題と言った方が良い。それは、なぜ、「アルコール依存症は、そうなってしまうのか?」ということだ。私はアルコール依存症患者として、私は、アルコール依存症になるべくしてなったと思っている。酒との付き合いが浅かったとしても、やはり私はアルコール依存症になっていたと思う。アルコール依存症に陥る人間は、その原因が、酒にあるとは限らないということ。もちろん、アルコール依存症になるためには、必要最小限の酒との付き合いは必要だが、必ずしも、むちゃくちゃ大量の酒を長期間飲み続けなければならないのかというとそうではないような気がする。

つまり、アル中になるやつは、なる。そいつが大酒のみだろうが、じゃなかろうが、なるやつはなるし、ならないやつはならない。アル中になる要因の最も大きいものは、酒ではなくて、別のところにある。酒は必要条件のひとつに過ぎない。

「酒を止めて生きるか、酒を飲んで死ぬか」なんてよく言われる。アル中が酒をなぜ飲むのかを考えると、多分、生きるために飲んでいるような気がする。ポッカリ空いた穴を埋めるために。生きているという感覚を得るために。だから飲む。酒がないと、生きてはいるけど、つらくてつらくて仕方ない。それは大人になると顕著になってくる。いつまでも子供の世界で生きては行けないから。だから生きるのがつらくなる。

アル中にとって「酒を止めて生きるか、酒を飲んで死ぬか」は、ちょっと違うな。「酒を止めて生きたフリして死ぬか、酒を飲んで実際死ぬか」が正しいかな。

アル中は、依存症の一つ。たまたま私が選んだのは、アルコールだった。依存するものが、たまたまアルコールだった。根源の依存症体質は、どのように、私の場合は形成されたのか。このブログで過去の記憶を手繰り寄せ、思い出すことができるといいなぁ。

精神病院の看護師

病院には医者もいるが、看護師もいる。看護師は、昔は女性が大半で、看護婦と呼ばれていた。時代も変わり、今では女性でも看護師と呼ばれるようである。

精神病院では、男性の看護師も多い。もちろん女性もいるのだが、大半は気合の入ったおばちゃんである。それはとても残念なのだ。精神病院に入院していて楽しみなのは、メシと可愛い看護師さんに会うことぐらいなのに、女性の看護師さんは、ババァが多いのだ。これでは、入院生活の楽しみも半減してしまうというものだろう。もちろん、可愛い看護師さんが多いと刺激が強すぎて入院患者が良からぬ考えをいだいてしまっては大変なのことになるとは思うけれど。

若い女性の看護師さんは、居たとしても、見なかった方が良かったと思うような方々ばかり。精神病院に進んで勤めようなどというような可愛い女性が、だいたい居るはずがないとは思うのだけどね。しかし、そのレベルはヒドすぎるように思う。ストレスのたまる仕事だから、食べ過ぎるのだろうか?デブも多い。乱暴な患者に髪の毛を引っ張られないようにとの思いからだろうか、丸刈りにしている女性看護師もいた。仕事のために、普通、アタマ丸めるだろうか?この丸刈りの女性看護師さんは、仕事に生活の全てを込めているような勢いだった。

さて、精神病院では、看護師は大半が男だと思う。それも、やたら屈強な男が多い。面接では、看護についての技量よりも、チカラで選んでいるのではと疑うくらい屈強な男どもが多い。外見だけで判断すると、自衛隊OBの連中と並んでも何ら引けは取らないレベルである。実際に、ある看護師は、前職は自衛隊と言ってたし。

精神病院での看護は、通常の病院の看護と比べて大変だと思う。まず、患者が暴れると押さえつけないといけない。てんかんなどの病気を持つ患者が、発作を起こした時は、尋常でないくらいのチカラだす。腕一本押されるのに、大人一人必要。中途半端なチカラでは到底かなわない。また、精神病院だから、先天的に障害もってたまに暴れる人はいるのはもちろんだが、変に絡む奴も珍しくない。そんなヤツは入院患者からはもちろん嫌われるのだが、看護師は仕事なので、相手にしないという訳にはいかない。万一、そんな変なやつが暴力的行為をはたらいて、ボディに2~3発食らったとしても、ビクともしない肉体が必要とされる。精神病院の看護師に必要なのは、体力と気力なのだ。医学的な知識など、極論、無くてもよい。

精神病院に長く入院していると、屈強で俊敏な看護師が数人玄関の前あたりで待機している光景に出くわすことがある。彼らは、看護師の中でも、選りすぐりのエリートたちだ。ある者は、象を持ち上げるようなチカラ持ちで、ある者は、チーターより早い。そう、彼らは捕獲隊と呼ばれる。

彼らが仕事においての達成感や充実感を感じる時は、採血したり、また介護したり、いわゆる看護している時であるはずがない。彼らは、招集された時に、目の色を変える。出番が来たのだ。

穏やかな昼下がりの病院が、彼らの招集で、ものものしい雰囲気に変わる。カンのいい患者は悟る。誰かがまた逃げたな。脱走した患者を捕獲するために、捕獲隊は招集されたのだ。もちろん逃げる患者もバカではない。精神病院は地元のタクシー会社や警察などとは、綿密な連携をとっているので、脱走患者もバカでなければタクシーなど使うはずがない。単独犯なら、事前に食料などもストックし、資金調達計画も立て、脱走ルートも緻密に計画しているはずである。

捕獲隊も、正念場だ。彼ら自身も、彼ががこの病院で雇われているのは、ここで成果を出さなければその意見がないということを知っている。だって捕獲すること以外は、何もできないのだから。基本バカだし。捕獲隊の追跡は徹底している。こと病院の周りに限っていうと、捕獲隊は警察犬の鼻以上の嗅覚を持つ。また脱走患者の足あとを見分ける目は、もはや千里眼を超える。一旦捕獲しようものなら、死ななければおとなしくさせるために多少殴っても大丈夫という暗黙の了解の元で、その患者が二度と悪い気を起こさないように、締め落とす。

十字架に掛けられたキリストのように、首をうなだれて、両手を捕獲隊に摑まれ、脱走患者は連行される。行き先はもちろん保護室。噂によると、この病院には外への窓が全く無く、日の光が全く入らない保護室があるそうだ。そこは、伝説のZ房と呼ばれている。脱走に失敗してしまったら、Z房に監禁3ヶ月は確定か。

今日も、患者の中には脱走を企む奴がいる。そして、今日も脱走した患者を追う看護師がいる。彼らの戦いは、終わることがない。
プロフィール

YJ

Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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