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アルコール病棟での労働

アルコール病棟での患者は、当然、アルコール依存症である。ここは病院なので、当然、飲めない。飲んだら、バレでもしたら即、独房へ行ってらっしゃいの運命。

アルコール依存症の患者は、飲んでいない状態の時は、普通の人である。飲んだら、人間のクズになる人種だが、飲んでいない時は、全くの普通の人なのである。普通の人だから、いろいろな作業(労働)も、当然、人並みにできる。

私の入院していた病院では;

1)朝のほうきがけ
2)モップがけ
3)窓ふき
4)ゴミ捨て
5)風呂掃除
6)配膳準備
7)食堂の掃除
8)他の病棟へ、食事を運ぶ手伝い
9)シーツ交換
10)シーツ類のトラックへの搬入と搬出
11)集団学習会の会場の準備、片付け等
12)その他たくさん

といろいろな役務があった。このような作業(労働)が、当時、どのような名目で行われていたのかは判らない。体の良い作業療法に入るのであろうか?看護師不足が常の精神病院の労働力を補う、格好の人材であるかのように思われる。とかけば、私はこのような作業に批判的のように思われるが実際にはそうではない。入院時は、確かに、このような労働を対価ナシで、強制的に行うことには、抵抗もあった。しかし振り返れば、実際の作業、それも何らかの失敗をすれば、怒られる可能性のある実働を行うのは、リハビリテーションに大変役立つことだと思う。

作業療法は、失敗しても怒られることはない。作業療法とは、単なる遊びに過ぎないからだ。ソフトボール、輪投げ、お絵かき、簡単な調理、カラオケなど、暇つぶしの域をでない。

しかし、アルコール依存症の患者に割り当てられた労働は、失敗したりさぼったりすれば他の誰かに迷惑がかかる性質のものであり、実社会の労働と性質は同じである。入院中は、何のストレスもなくゆっくり過ごすというのも治療の段階によっては大切だが、退院後のことを考えると、入院時に多少の負荷のある生活をさせることで、退院後にうけるであるうストレスに免疫をしっかりつけておくことは大切だと思う。これが、私が後になって、このような労働に賛成する理由である。

病院側も、このような作業を行わせる理由を聞かれていれば、上記のように答えたのだろうが、本音で言えば単なる労働力の補充であるのは誰の目にも明らかだったと思う。結果オーライで、それはそれでよいのだが。

さて、そのような作業の中で、そりゃないだろうと思うものが一つあるので紹介したい。

当時、入院患者は、上から下まで60日程度の表が書かれた、一枚の紙をベッドの壁に貼っていた。その紙に、一日の便の回数、尿の回数、体温、脈を自分で記入するのである。体温計は、今どきどこでこんなのが売っているのというようなあの懐かしい水銀体温計がベッドに備え付けてある。朝起きて、一番に体温を測ることになっているのだ。

大半の患者は、その表が、変なのである。60日分を記入できる表なのだが、記入されてある最新の欄は、だいたいが、30日ぐらい日付が進んでいるのである。つまり、皆、ひとつき先まで、既に記入済みになっているのである。体温も適当に、36度~36.5度の範囲でバラバラに、またしょんべんも8回~15回、便も1回~2回、脈も60回/分~80回/分と適当に微妙に違う数値で、ひとつき先まで記入してある。

普通の医療機関ではあり得ないことだが、このような測定を、患者に任せてしまっていたのである。基本、患者は面倒臭いことは嫌いだ。だから、まともに回数をチェックしてきちんとカウントしているやつは誰ひとりとしていない。皆、ちょーテキトーに数値を羅列しているだけなのだ。

患者の中には、真面目に脈を測ろうにも、測り方を知らない者もいたから、彼らがテキトーに数値を羅列するのは仕方のないことだっただろう。中には、脈の数値が3とか、500とかすごい数値を記入してしまい、看護師連中を卒倒させる者もいた。便の数が100とか…。

ひとつき先まで記入することが、何故まかり通っていたかというと、それは表をチェックする者が、看護師ではなかったからだ!!!これは、今でも思うが、さすがにマズイよ。誰がやっていたかっていうと、同じ患者だったんだから。班長がやっていた。私、班長もやったから、ワ・タ・シもやった。

私にも良心があって、75歳くらいの患者さんには、表の先付けはやらせていなかった。毎日ノートをもって患者のベッドから数値を転記して、そのノートを詰所に提出するのだけれど、75歳の患者さんには、脈はキチンと腕を持ち測ってあげていた。便の回数も正しい回数を問いただしていた。だって高齢の患者さんは、何があるか判らないから、日々の測定は大切だと思っていたし、何かあったら、自分に責任があるから怖かった。今思えば、何かあったとしても、患者にこんなことさせていたというのは病院は隠蔽するだろうし、私に責任が及ぶことはないとは思う。そもそも、こんな大切なことを同じ患者にさせていた病院側が悪いのだから。私は看護師免許もっていないのだから。

普通の常識なんて精神病院には、ない。形式だけ、そう形式だけやっておけば、あとは患者は死なない程度でちょうど良い。最初に書いたが、私は労働自体には反対ではない。しかし、度が過ぎると、「だから精神病院は叩かれるんだよあぁ」とボヤきたくもなってしまう。

この話は、当時の事実ではあるが、今では改善されて、日々の計測は看護師が直接1人ひとりに対面で行なっているということを付け加えておく。労働も残念ながら、無くなった。
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猫も杓子も点滴2本

アルコール依存症で一回目に入院した時の話である。

入院したら、即点滴になる。入院したその瞬間からまず点滴なのだ。点滴については、何の薬か良くわからないが、栄養剤的なものなのだろうし、文句もない。

しかし、以下の2つの点で、さすがアル中専門病棟と唸らさせられたことがある。

1)血液検査の結果は関係なく、一日2本。

γ値(γ-GTP)が高いとか低いとか関係ない。γが20の人も4000超えの人も、差別なく、点滴を一日2本。確かにアルコール依存症の定義付けは、γ値だけで測られるものではない。γが低いアルコール依存症も当然たくさんいるだろうし、γが高くなければアルコール依存症ではないという理屈は通らない。しかし、点滴はあくまで身体的な不具合に対し処方するものだから、γが低い人まで何故点滴を一日2本しなければならなかったのか、私には今でも判らない。私の入院時のγ値は40程度だったように思う。正常値である。体は幸いにも元気だったのだが、毎日点滴2本のメニューは私にも課せられた。今思えば、無茶苦茶な病院だなぁとは思うけど、メリットもあったように思える。それは、一日点滴2本していれば、なんとなく自分がとっても悪い病気にかかっているんじゃないかと思うようになること。

アルコール依存症は否認の病気とはよくいわれる。特に家族から病院に送られたような自覚の全然ないアホの患者にとってはありとあらゆる手段で、自己に対する認識の変革を起こす必要がある。家族から病院に放り込まれ、血の検査を受けても異常がない場合、患者は「何で俺がこんなクソのようなところに放り込まれるんだ。俺は健康じゃないか!」となおさら暴れてしまう傾向にある。それでもとりあえず、ブロイラーにコンベアで餌を運ぶがごとく、毎日毎日点滴を2本も受け続けていれば、「もしかしたら俺って病気かも?」なんて思ってくれるかもしれない。どうせ栄養剤なんだから身体的に健康な人に点滴したところで副作用なんてないに等しいから、患者に多少なりとも認識の変化が起これば病院としては、「点滴の術」成功なわけである。もちろん、病院側も点滴代も儲かるしね!!!

2)土日祝は点滴1本

血液検査に異常が認められず、それでも一日点滴2本して、γに以上がない患者でも「俺は体は健康だけど、点滴やってもらっているから、もしかしてやっぱり病人なのかな」と淡い病識が生まれてきている。非常に喜ばしいことだ。だが、彼の病識はそのうちはかなくも崩れていくことになる。

週末、彼はいつものように点滴を待つ。それまでの毎日キチンキチンとした点滴に彼の思いは、「やっぱり病院はしっかりしとる。加療計画に基づいて治療しているところをみると、なんとなく俺も病気なのか。自分の判断じゃ、体は全く元気なんだが、プロから見たらどこかしらおかしいところがあるんだな、きっと」などと少しは自分が病気であると認めはじめているのかもしれなかった。

看護師が来た。

看護師:○○さん、今日は点滴は1本だからね。
○○さん:えっ、そうなの?どうして?もう俺の体調良くなったの?
看護師:いや、今日は土曜日だからねぇ。人がいないのよ。
○○さん:は?

このような会話が交わされた。○○さんは深く傷ついてしまうのだ。彼は、自分の治療はきちんとした医者の看護方針のもとで行われていると信じている。だってここは病院なのだから。まさか、土日で人がいないなどという普通のありふれた理由で点滴しなくてよいことになるとは彼の常識では考えられないことなのだ。彼の常識では、例えば処方された薬を医者が、「あ、薬は忙しい時は飲まなくていいよ」なんて言うようなことは考えられないのだ。医者は、「○○さん、きちんと薬飲まないと、治るものも治りませんよ」という人種だと信じているのだかれら。○○さんは、「結局、俺の点滴は、その程度かい!!」と思うに到ってしまう。

そうなのだ。結局のところ、○○さんの点滴はその程度のことなのだ。土日で看護師の数が足らない時は、お休みしても良い程度のことなのである。つまり、「してもしなくても良い程度のこと」だったのである。もうこう感じてしまったら、彼は病院の治療について不信感全開である。「結局、この点滴なんて病院のゼニ儲けのためにやるんだよな。患者のためなんて微塵のかけらもないんだよな、なめやがって、くそどーせ俺らをアル中のクソぐらいにしか思ってねぇんだろうよ」。

実際、彼らは患者のことを「アル中のくそったれ」ぐらいにしか思っていないので当たってはいる。残念なのは、患者はこんな時だけ自分たちのことを「アル中のくそったれ」を自己を卑下して揶揄するが、それは反語であって心の中では病気のことを全く認めようとはしていない。笑える。

点滴がいい加減な形だけのものであるとしった○○さんは、点滴に対する姿勢も変わってきた。2時間も点滴に拘束されるのに嫌気がさした彼は、点滴をなるべく高いところに持って行き、超高速点滴の術を生み出したのだ。テレビの病院シーンでよく見る点滴の「ポタっポタっ」のイメージとはかけ離れて「ジャーッ」と流れていく。これを点滴ともはや呼べない。もちろんストッパーは全開。○○さんは、針が突っ込んである方の半身が少し冷えてくるのは感じていたが、これみよがしに、「看護師さん、これくらいの勢いで点滴やらないと、効くものも効かないっすよ」。○○さんは、看護師がそんな無茶を制止してくれるのではという甘い期待がないことはない。子供が親の前でわざと悪いことをして注意を引こうとする心理に似ている。しかし、看護師は、「あら~○○さん、入院している時くらいは、物事はユックリやってもいいんですよ」と言ったには言ったが、そのまま帰っていった。よくよく周りの患者を見てみると、皆、ストッパーは全開で、点滴「ジャー」である。先輩患者らは、点滴のことなどもうどうでもいいような、とにかく終わらせればいい、小学生の宿題程度にしか思っていないようだった。

そう、点滴なんてやっぱり形だけなのである。私の初回入院時、その病院ではγ値が正常の患者に対し点滴は2週間継続した。土日祝は、1本。形だけの点滴だが、本当に点滴を必要としている患者もいる。γ値がまっとなアル中らしいスコアを叩き出しているヤカラどもだ。彼らは、γが正常値に下がるまで無期限で点滴を打たなければならない。彼らには点滴治療は、形だけでは、困る。しかし、そんな彼らへの点滴も、土日祝は1本。

精神病院とは、そんなもんなのだ。真面目に考えると、理不尽だらけの世界、それが精神病院。でもね、真面目に考えちゃダメ。だってあなたは、キチガイだからここに入れられたんだから。「ここは訳が判らんところだなーガッハッハ」と笑い飛ばすのが、精神病院の生活で健康な精神状態を保って生活するコツなのかもしれない。

アルコール依存症についての本

アマゾンでアルコール依存症と検索するとたくさんの本が出てくる。ちなみにgoogleでアルコール依存症と検索すると結構上位に私の入院した病院が表示される。

世の中アルコール依存症に情報は溢れているというわけである。アルコール依存症に関する情報は、もし得ようと思うならそれほどむづかしいことではない。残念なことに、アルコール依存症の人々は自分から情報を得ようとすることはまず無いのだけれど。

このブログを始めてから、初めてコメントを頂いた。とても嬉しかった。このブログは、一応体系的に、ある目標を持って書こうと思ってはいた。伝えたいことがあり、そのことを支えるエピソードを複数回書く。そして次の伝えたいことに移る。そう思っていたけれど、1週間も時間を空けてしまうと、ストーリーがどこまで進んだか忘れてしまう。自分で書いたブログを見たら判るのではと思うかもしれないけれど、ブログは実際の末端の作業現場であって、それを見て設計図を思い出すのはなかなか難しい。

これからなるべく1週間に1回はきちんとブログ書こうとは思う。たとえ、何をどこまで書いたかわからなくなっても、今日書くものが、既に前回書いたものであったかもしれなくても、それはそれで良いだろう。

さてその頂いたコメントに、「なだいなだ」氏の下りがある。なだいなだ氏の著書は私の手元に一冊ある。「アルコーリズム―社会的人間の病気」。この本は、内容は少々古臭いが、アルコール依存症については、ほぼこれ一冊で全てが理解できる名著だと思う。古臭いとはいえ、30年前のアル中も、現代のアル中もそうたいして変わってはいないのだから。

確かに、数ヶ所については、ちょっと違うかもと思う部分はあるかもしれない。しかし、アルコール依存症のことを全体的にわかりやすく伝えてある本だと思う。今手元にあるこの本をパラパラとめくりながら、以前熟読した記憶を呼び起こす。内容を思い出してみる。この本は、改めてとても良く書かれていると思う。この本を一冊読めば、それだけでもう他のアルコール依存症に関する本は読む必要は無いように思う。アルコール依存症とは何かという問題に淡々と答えてくれる本だと思う。

一つこの本に加えたいと思うこともある。いや、この本を読んだら、その後、深く考えてもらいたい問題と言った方が良い。それは、なぜ、「アルコール依存症は、そうなってしまうのか?」ということだ。私はアルコール依存症患者として、私は、アルコール依存症になるべくしてなったと思っている。酒との付き合いが浅かったとしても、やはり私はアルコール依存症になっていたと思う。アルコール依存症に陥る人間は、その原因が、酒にあるとは限らないということ。もちろん、アルコール依存症になるためには、必要最小限の酒との付き合いは必要だが、必ずしも、むちゃくちゃ大量の酒を長期間飲み続けなければならないのかというとそうではないような気がする。

つまり、アル中になるやつは、なる。そいつが大酒のみだろうが、じゃなかろうが、なるやつはなるし、ならないやつはならない。アル中になる要因の最も大きいものは、酒ではなくて、別のところにある。酒は必要条件のひとつに過ぎない。

「酒を止めて生きるか、酒を飲んで死ぬか」なんてよく言われる。アル中が酒をなぜ飲むのかを考えると、多分、生きるために飲んでいるような気がする。ポッカリ空いた穴を埋めるために。生きているという感覚を得るために。だから飲む。酒がないと、生きてはいるけど、つらくてつらくて仕方ない。それは大人になると顕著になってくる。いつまでも子供の世界で生きては行けないから。だから生きるのがつらくなる。

アル中にとって「酒を止めて生きるか、酒を飲んで死ぬか」は、ちょっと違うな。「酒を止めて生きたフリして死ぬか、酒を飲んで実際死ぬか」が正しいかな。

アル中は、依存症の一つ。たまたま私が選んだのは、アルコールだった。依存するものが、たまたまアルコールだった。根源の依存症体質は、どのように、私の場合は形成されたのか。このブログで過去の記憶を手繰り寄せ、思い出すことができるといいなぁ。

精神病院の看護師

病院には医者もいるが、看護師もいる。看護師は、昔は女性が大半で、看護婦と呼ばれていた。時代も変わり、今では女性でも看護師と呼ばれるようである。

精神病院では、男性の看護師も多い。もちろん女性もいるのだが、大半は気合の入ったおばちゃんである。それはとても残念なのだ。精神病院に入院していて楽しみなのは、メシと可愛い看護師さんに会うことぐらいなのに、女性の看護師さんは、ババァが多いのだ。これでは、入院生活の楽しみも半減してしまうというものだろう。もちろん、可愛い看護師さんが多いと刺激が強すぎて入院患者が良からぬ考えをいだいてしまっては大変なのことになるとは思うけれど。

若い女性の看護師さんは、居たとしても、見なかった方が良かったと思うような方々ばかり。精神病院に進んで勤めようなどというような可愛い女性が、だいたい居るはずがないとは思うのだけどね。しかし、そのレベルはヒドすぎるように思う。ストレスのたまる仕事だから、食べ過ぎるのだろうか?デブも多い。乱暴な患者に髪の毛を引っ張られないようにとの思いからだろうか、丸刈りにしている女性看護師もいた。仕事のために、普通、アタマ丸めるだろうか?この丸刈りの女性看護師さんは、仕事に生活の全てを込めているような勢いだった。

さて、精神病院では、看護師は大半が男だと思う。それも、やたら屈強な男が多い。面接では、看護についての技量よりも、チカラで選んでいるのではと疑うくらい屈強な男どもが多い。外見だけで判断すると、自衛隊OBの連中と並んでも何ら引けは取らないレベルである。実際に、ある看護師は、前職は自衛隊と言ってたし。

精神病院での看護は、通常の病院の看護と比べて大変だと思う。まず、患者が暴れると押さえつけないといけない。てんかんなどの病気を持つ患者が、発作を起こした時は、尋常でないくらいのチカラだす。腕一本押されるのに、大人一人必要。中途半端なチカラでは到底かなわない。また、精神病院だから、先天的に障害もってたまに暴れる人はいるのはもちろんだが、変に絡む奴も珍しくない。そんなヤツは入院患者からはもちろん嫌われるのだが、看護師は仕事なので、相手にしないという訳にはいかない。万一、そんな変なやつが暴力的行為をはたらいて、ボディに2~3発食らったとしても、ビクともしない肉体が必要とされる。精神病院の看護師に必要なのは、体力と気力なのだ。医学的な知識など、極論、無くてもよい。

精神病院に長く入院していると、屈強で俊敏な看護師が数人玄関の前あたりで待機している光景に出くわすことがある。彼らは、看護師の中でも、選りすぐりのエリートたちだ。ある者は、象を持ち上げるようなチカラ持ちで、ある者は、チーターより早い。そう、彼らは捕獲隊と呼ばれる。

彼らが仕事においての達成感や充実感を感じる時は、採血したり、また介護したり、いわゆる看護している時であるはずがない。彼らは、招集された時に、目の色を変える。出番が来たのだ。

穏やかな昼下がりの病院が、彼らの招集で、ものものしい雰囲気に変わる。カンのいい患者は悟る。誰かがまた逃げたな。脱走した患者を捕獲するために、捕獲隊は招集されたのだ。もちろん逃げる患者もバカではない。精神病院は地元のタクシー会社や警察などとは、綿密な連携をとっているので、脱走患者もバカでなければタクシーなど使うはずがない。単独犯なら、事前に食料などもストックし、資金調達計画も立て、脱走ルートも緻密に計画しているはずである。

捕獲隊も、正念場だ。彼ら自身も、彼ががこの病院で雇われているのは、ここで成果を出さなければその意見がないということを知っている。だって捕獲すること以外は、何もできないのだから。基本バカだし。捕獲隊の追跡は徹底している。こと病院の周りに限っていうと、捕獲隊は警察犬の鼻以上の嗅覚を持つ。また脱走患者の足あとを見分ける目は、もはや千里眼を超える。一旦捕獲しようものなら、死ななければおとなしくさせるために多少殴っても大丈夫という暗黙の了解の元で、その患者が二度と悪い気を起こさないように、締め落とす。

十字架に掛けられたキリストのように、首をうなだれて、両手を捕獲隊に摑まれ、脱走患者は連行される。行き先はもちろん保護室。噂によると、この病院には外への窓が全く無く、日の光が全く入らない保護室があるそうだ。そこは、伝説のZ房と呼ばれている。脱走に失敗してしまったら、Z房に監禁3ヶ月は確定か。

今日も、患者の中には脱走を企む奴がいる。そして、今日も脱走した患者を追う看護師がいる。彼らの戦いは、終わることがない。

精神病院に入院する前にやっておくこと

精神病院は普通の病院のように考えて入院すると、大きな間違いである。精神病院は、病院と名前はついているが、「拘束所」みたいなものである。一般の病院のように、「ゆっくり骨休めしよう」などと考えて入院するととんでもないことになる。

私は精神病院にアルコール依存症で2回、計1年近く入院していた。その経験から、精神病院に入院する前に絶対やるべきことがある。

それは、「健康診断」だ。悪いところを全て治して、万全の体制で入院するようにしている。「精神病院も一応病院なんでしょ?悪いところがあったら、ついでに治してもらえばいいのに。」と思う方もいらっしゃるかもしれない。

最初は何故か判らなかった。今でも何故か詳しくは判らないが、アルコール依存症で入院したら、私の入院した病院はそうとうのことがない限り、自主的退院はできない。自分から「退院」したいなどとぬかすようであれば、問答無用で保護室送りになる危険がある。「退院したい」は禁句というのは、入院患者の常識である。

全国的にどうかは判らないが、この病院では、具合が悪くなってもほったらかしが基本である。笑える話ではないけれど、熱が39度近くでて何日経とうが、まともな医者に見えてもらえることは期待しないほうが良い。実際に、高熱にうなされたA氏は、一週間近く放ったらかしだった。看護師にいくら訴えても無視同然で、氷枕を支給してもらった程度。しかも、しっかり氷代は徴収されていた。

「今日、(精神科)ではなくて、別の先生が診てくれます」と、A氏に看護師が伝えた。一週間も高熱が下がらずまともな対応もしてもらえないアルコール依存症のA氏は、救われたように安堵の表情を見せた。A氏はその時の診察の状況を私達に教えてくれた。

A氏:「今日、別の先生が来るからって診てもらったんですよ。すんごいおじいちゃん先生だったんですけど、なんかその先生変なんですよ。

私:「どんなふうに変だったの?」

A氏:「手がプルプル震えているんですよ。」「なんか書いている時とかは、ピタっと震えはとまるんですけど、何もしてない時は、異常にプルプルしてるんです。」

私:「あ~、その先生ねぇ」

A氏」「知っているんですか?特別に、他の病院から内科の先生を連れて来るからって聞いてたんですけど」

私:「その先生、近くの老人ホームの先生で、専門は皮膚科だよ」

A氏:ひっくり返る

こんなような状況である。A氏はその後、熱が下がったと思うとまた高熱に悩まされていた。処置らしい処置はまったくしてもらえなかった。たまにまともな内科の先生の診察もあったようだが、口の中みるのに、普通だったらベロをしゃもじみたいなもので押さえてライトでみるけど、その内科の医師は、「口開けて」で、遠くから眺めていただけだったらしい。まともな診察じゃ、ないから!

彼らにとって、アルコール依存症患者など、「死ななければ良い」程度のものだろう。死なない程度に病院内に捕まえておくのが、彼らにとって「入院させる」と同義のようだ。

A氏だけではない。私は、他にも数人の、入院中に具合が悪くなった患者を見てきたことがあるが、ロクな対応はしてもらってない。

S氏のケース。夜中、S氏は突然の腹痛に見舞われる。緊急の呼び出しで、当直の医者に来てもらった。病室での診察。S氏はお腹を押さえてのた打ち回っている。医者に症状を一生懸命伝えようとする。医者は、しばらく聞いていたが、よく判らないらしく、なんと最後には、厚さ10センチくらいある書物を持ってきて「判らない、判らない」とつぶやきながら、頭かかえていた。そんな頼りない医者の姿を見たS氏は、絶望したような顔で、お腹の痛みも麻痺してきたように見えた。その医者みたいな医者は、免許もっているかもっていないか判らないような、学生だった。

M氏のケース。M氏もお腹の痛みをある日訴えた。日々、放置されていた。ところが、M氏のお腹がまるで赤ちゃんでもいるんじゃなかろうかというくらいに大きくなり、素人目にもまずいよなぁと判る状態。それでも、それでも放置。M氏はもう涙目状態。転院をいくら訴えるが、一旦、アルコール依存症で入院したら、転院なんて言葉はないかのように無視される。

精神病院に入院したら、体の具合が悪いなんて訴えても、無視される。彼らにとって、死ななければまだ具合は大丈夫なんだろう。精神病院に入院する前には、戦場に行くと心得て、体調管理は万全の体制で入院の臨なければならない。精神病院には、医者なんていないんだから!
プロフィール

YJ

Author:YJ
アルコール依存とベンゾジアゼピン系薬物依存の記録。

I hope this blog is of some help to those wandering in the darkness with no way out like I used to be.

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